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1月, 2023の投稿を表示しています

子どもが肩こり?だなんて・・・

私が教室を担当するようになって、とても気になっていることがあります。 その一つが、そろばんをしている真っ最中に、幾人かの子どもたちが、首を傾け「クキッ!クキッ!」と、一部の中高年の方達が肩こりの時にする、例の仕草をするのです。 「うん?子どもが肩こりってか???」 そろばんをしている真っ最中にそろばんから手を離し、今度は肩を少し開いて、首を回して、天を仰ぎます。 「おいおいおい・・・」 ほんとに肩こりのようです。 少し調べてみると、子供の4人に1人は肩こりだ、と。 その原因は、、、 みなさんご想像の通り、ゲーム(スマホ)です。 当然、からだを動かす遊びもしなくなります。 みんなと一緒に、外遊びしなくなったのは、コロナとの関係も言われますが、私はこの二、三十年、このことを観察し、考えてきました。 ずっと気になっているのは、電車内やホームの光景がおかしなことになっていることです。電車に乗り込むと、ほんとにほぼほぼ100%と言っていいほどみんな携帯と思しきものを手にし、それを覗き込んでいます。 ホームでは、携帯を覗き込みながらじっと立っている人、覗き込みながら歩いている人、携帯が紐で繋がれていると考えると、ちょっと悍ましい光景です。実際のところ電波によって繋がれているのですが・・・ 姿勢を観察すると、肩まわりは巻き肩になっていて、顎が出て頸椎が前傾しています。そのため、腰が後傾して少し丸くなり、膝が軽く緩んでいます。 どのように見積もっても素敵な立ち姿には見えない姿勢です。 電車の中で座っている人も、膝こそ緩んでいるとは言えませんが、それ以外はほぼ同様、腰、肩、首つまり腰椎、胸椎、頚椎はくるりと曲がっています。 これは、ゲームをしている人もほぼほぼ同様の姿勢になっています。 ここから先は、私の個人的な見解なのですが、 心身相関という言葉があります。 保健体育で耳にされたことがあるかもしれません。 心の状態が身体に影響を及ぼし、また同様に身体の状態が心に影響を及ぼすということなのですが、後者の場合についてはあまりイメージが湧かないかもしれません。 「身体の状態」とは。 このことを怪我や病気という風に考えるのでなく、ただ単に「姿勢」と考えてみてください。 私たちは、面倒くさいことをするときや、やる気のないとき、多分、間違いなく、顎を前に出し、少しうなだれて、背中を丸めて巻き肩...

視覚情報に溺れる危険性!?

昔にテレビが登場し、いまや、スマホ、タブレットなどで動画を視聴する時代です。探す苦労などなく、次の面白そうな動画は横にあります。その餌に「好奇心」はもののみごとに吸い寄せられていきます。餌を探さなくてもいいのでとっても楽ちん。どんどん、どんどん見てしまいます。 この娯楽は、「読む」という積極的で能動的な行為を、私たちから奪ってしまいました。本来、「みる」「きく」というのも能動的な「感覚」なのですが、テレビ、スマホ、タブレット、PCなどでの動画視聴は、それを極めて消極的で受身的なものに変えてしまいました。だから、楽しい(=らく)のだと思います。 加えて、 ゲーム 。 これも楽しいのでしょう。だって、「できそう」感が散りばめられていて、実際、同じことの繰り返しなので達成感をすぐに味わえます。 そして、「できない」感を感じるレベルから、突然興味を失います。そもそも、長期間努力し、高度な技能を身につけないと、できない「ゲーム」なんて売れないと思います。ですから、興味をそそられるのも簡単、興味を失うのも簡単なのだと思います。始めるのも簡単だけど、やめる時も「ポイ」ってできます。 ゲームは、動画視聴よりは多少能動的でないとできないのですが、これは、「リアル」がまったくないところが問題だと考えています。「リアルさ」はありますが、身体感覚における「リアル」はまったくないといえそうです。 そして、「できそう」感があり、簡単に達成感を味わえます。達成感が味わえるとおもしろい。楽しい。で、ついつい。。。 それは動画視聴もテレビも同じようです。 私たちはご飯を食べながら、あるいはビール片手に横たわりながら、酷い事件や戦争のニュースをみ、誰かが騙されて穴に落ちるのを見て笑い、なにしとんねん!とぼやきながら、テレビでスポーツ観戦をしています。 やはり、そこにリアルはないようです。わたしにとってリアルなのは、横たわりながらテレビを観ていることなのだと思うのです。 こういったコンテンツの視覚情報では、すでに作られている、制作者の意図が「無意識に」染み込んだ、「イメージ」が入ってくることになります。これらは、私たちが独自にイメージを組み立てることを、初めから拒否しています。それに引き換え、「読む」という行為は能動的でなければならず、「イメージ(化)」は私がゼロから作り上げることになります。 この両者...

語彙力が「身につく」ってどういうこと!?

「左」という漢字は、訓読みで「ひだり」と読みますが、音読みでは「サ」と読みます。 漢字を覚え させる ときに「左」は「ひだり」と読むんだけども、「サ」とも読むんだよ、覚えましょう、などとやってしまうと、誰だって混乱します。 「サ」という読みを知っていくのは、「左右」という言葉が意味する内容そのものを知り、自分がその言葉を「さゆう」と発する身体的な経験を持つときです。その経験なしに言葉を覚えるのは難しいことだと思います。まして、「書く」ことができるようになるのはとても困難なことです。 いずれ、「運命を左右する」などと表現する場合の「左右」も覚えることになるでしょう。でも、この表現はあまり日常的には使いません。この場合、書かれた文章や、映画やテレビを見ることで、そういう言い方を知っていくことになるでしょう。 ここで問題にしているのは、意味を理解していないのに漢字を覚えさせよう、あるいは覚えようとしてしまうのは愚の骨頂だということです。ある言葉を漢字として書けるようになるのは、その言葉を使う機会を持って、身体感覚に入り込んでからになります。これが「身に付く」という言葉の真髄だと私は考えています。 小学3年生の漢字ドリルで、このような問題がありました。 「電話をとり つぐ 」 「電話をとり 次ぐ 」が答えですが、「電話を取り次ぐ」とはどういうことなのか、それをわかっていない子どもたちにこの問題はとても難しいというか、意味不明な表現にしか見えていないと思います。 携帯電話が登場してから、電話を取り次ぐことなんてしなくなった今、意味不明な言葉の一つになってしまっています。呆れ顔をすることなかれ、このようなことは私たち大人にも起こっていることだと思います。 たくさんの、まだ知らない使わない言葉があります。 ドリルの良し悪しもありますが、それよりも、子どもたちの経験不足、私たちの経験不足で「身に付いて」いない表現だと思うのです。 だとすると、日常の生活の中で私たち大人が、子どもたちの周りで、少し難しいと思えるような表現や言葉で、子どもたちに遠慮することなく、会話をしなければならないのではないかと思っています。ときには、子ども本人に向かっても、大人が使う言葉で言ってあげることが必要なのではないか、と思っています。 意味が分からなくて尋ねてきたら、あれやこれやと説明してあげてください。...